日本の磁器文化は、佐賀県の有田で始まりました。17世紀初頭、陶工・李参平が泉山で磁石を発見したことをきっかけに、日本で初めて磁器の生産が始まります。ここで焼かれた磁器は国内で広く使われただけでなく、伊万里港から積み出されてヨーロッパへも輸出され、「伊万里焼」として世界に知られるようになりました。
有田焼と伊万里焼は、産地名と流通名という違いはあるものの、同じ磁器文化を源に持ち、日本陶磁史の中心的存在として発展してきました。本記事では、その歴史と特徴を整理し、代表的な三つの様式——柿右衛門様式・鍋島様式・古伊万里様式——を軸に、有田焼・伊万里焼の魅力を紹介します。
そもそも有田焼と伊万里焼は同じ
有田焼は日本で初めて磁器が焼かれた産地です。17世紀初頭、朝鮮半島から渡来した陶工・李参平が泉山で磁石を発見し、磁器の生産が始まりました。以降、有田は磁器の中心地として発展し、江戸時代には国内だけでなくオランダ東インド会社を通じてヨーロッパへも大量に輸出されました。

伊万里焼とは、本来は有田で焼かれた磁器が積出港・伊万里港から出荷されたために定着した呼び名です。当時は波佐見焼や肥前焼など周辺地域の製品も伊万里港から輸出され、まとめて「伊万里」と呼ばれていました。江戸時代には長崎・平戸からもオランダ船で欧州へ渡り、伊万里の名で世界の王侯貴族に愛されました。
「伊万里焼」は輸出・流通上の呼称であり、実際の生産地の中心は有田です。
現在は、伊万里地区で焼かれるものを「伊万里焼」、有田地区で焼かれるものを「有田焼」と産地名で区別するのが一般的です。ただし両地域やその周辺で作られる磁器を広く「有田焼」「伊万里」と呼ぶことも多く、呼称は文脈や流通によって使い分けられています。
有田焼と伊万里焼の特徴(佐賀県)
特徴
時代背景や技術の進歩に伴い、有田焼を代表する三つの様式が生まれました。それが 「柿右衛門様式」「鍋島様式」「古伊万里様式」 です。
柿右衛門様式(17世紀後半〜)

余白を活かした上品な赤絵が特徴。白磁の美しさを背景に、草花や鳥を繊細に描き、洗練された美を表現しました。ヨーロッパでも高い人気を博しました。
鍋島様式(江戸時代〜)

将軍家や諸大名への献上用として制作された格式高い磁器。極めて精緻な絵付けと厳格な品質管理が特徴で、芸術性と技術の粋を極めています。
古伊万里様式(17〜18世紀)

国内外に広く流通した色絵磁器。藍の染付に赤や金を加えた華やかな装飾が多く、大皿や壺など輸出向けの大型作品が目立ちます。ヨーロッパでは「ジャポニスム」として美術に影響を与えました。
デザイン
三様式に共通するのは、白磁をキャンバスにした多彩な表現。藍の染付による端正な意匠から、赤や金を大胆に用いた豪華な装飾まで幅広い展開を見せました。花鳥、吉祥文様、唐草など多様なモチーフが描かれ、格調高さと華やかさを兼ね備えています。
現代

現在も有田町や伊万里市を中心に窯元が活動し、伝統的な三様式を継承しながら現代の感覚を取り入れた作品を生み出しています。有田では「有田焼400年事業」など国際的な展示が行われ、伊万里市大川内山は観光地として多くの窯元が集まり、伝統と革新の双方を体感できる場所となっています。
まとめ
有田焼と伊万里焼は、ともに日本磁器の原点であり、切っても切り離せない存在です。生産地である有田から始まり、伊万里港を通じて国内外へと広がったことで「伊万里焼」の名が定着しました。
時代の流れと技術の進歩により、「柿右衛門様式」「鍋島様式」「古伊万里様式」という三つの代表的な様式が誕生し、それぞれが異なる魅力を放ちながら日本磁器の多彩さを形作ってきました。洗練された余白美、格式高い献上品、華やかで輸出向けの豪壮な装飾——いずれも有田焼・伊万里焼の豊かな表現力を示しています。


